つぎさん家

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独り言がだだ漏れ

私のオーディオ観について

どうも つぎです

 

今回は『オーディオ』というジャンルについて私の観点からお話ししていきたいと思います。

 

私にとってのオーディオとは『音楽を浴びること』です。

 

最近のオーディオでは難しい数値や用語がたくさんありますが音楽は数値化できないものだと常に思っています。

 

ただオーディオというジャンルの中での音楽は数値化する傾向にあって、DSDやMQAなどのフォーマットで曲をアナログに近い形で表現したりスピーカーの様々な要素と性能を如何に引き出せるか検討したりするためによく数値化することがあります。

 

これが音楽に結び付くかと言われると結び付きますが、結び付くまでの道のりが長いと思います。性能が伴っていれば出てくる出音も良いから音楽が楽しいというのは当たり前のことですが、そもそもの音楽が良ければ性能よりも音楽が勝るので道のりが長ければ長いほど音楽が楽しい・良いといった感覚も遠のいていくと感じます。

 

私は音楽は音楽で切り離して考えたほうがいいと感じるように思えますし、オーディオシステムはもっと気軽にあわよくば芸術的であってもいいと感じます。

 

音楽を聴くためのシステムがいつの間にかシステムを聴くために音楽が手段になっていることはないですか?これは音楽をもっと良く聴きたいと考える余りに起きる『あるある』です。

 

オーディオの良いところでもあり悪いところは音楽の表現力が余すことなく伝わることでもあると思っていますが、それが前述したことに繋がり俗にいう『沼』へと誘われます。そうなると最初にお伝えした『感覚が遠のいていく』ことになり、『システムを聴く為に音楽が手段へ変化』していくんだと思います。

 

その結果オーディオの観点からは凄くても音楽の観点からは何も凄くはないと感じます。むしろ、音楽を追いかけるようにしてオーディオは存在しているようなものなので、いくらがんばっても追いつけないと思います。もちろんオーディオシステムのグレードアップによる感動はあるでしょう。それは音楽が素晴らしいからであって『オーディオシステム』が素晴らしいのではないと思います。

 

ここで解釈を深めるために少し例えを出したいと思います。

 

それは、『絵画』です。

 

絵画についての知識は何もないことをまずはお伝えした上で言いますがここでは絵画を語ろうとかそういう気は毛頭ないです。

 

今回は風景画を例にお話ししたいと思います。風景画を描くとなった時、見ている風景を絵師はどのような思いでキャンバスに筆を滑らせるのでしょうか。出来上がった絵画は公になり評価されます。それが素晴らしいとなれば絵師共に絵画も評価され後世に伝わります。

 

オーディオも同じく当てはめて考えてみると音楽という題材があってそれを聴き手のこうであってほしいという思いが表現できるスピーカーが評価されるといった具合にオーディオも芸術性があっていいと思うんですよね。

 

現に代表的なスピーカーで言えば私の使用しているタンノイやソナスファベールやペナウディオなど芸術的な見た目はもちろん出音にもその要素があるようなスピーカーがもっと増えていいと思っています。性能はあくまで前提で出音も伴いますが、音楽を楽しみたいなら性能よりも芸術性をもっと重要視していいのではとも思います。

 

さて、最初に話を戻しますが私のオーディオ観『音楽を浴びること』についてですが、まさにタンノイにはその音楽を浴びれるほどの芸術性があります。スピーカーの構造により音楽の持つエネルギーや豊かな響きをもたらし、見た目は質の高い北米産のウォールナットで蜜蝋ワックスで磨けば磨くほど深みも増す。そして、年月が経てば経つほど木もより良い状態で乾燥し成熟していく。そういった音楽とオーディオシステムの共存という芸術性があります。

 

余談ですが、今のシステムのすべての機器は試聴もせずに購入しているという私の確固たる事実に基づいて話をしています。まさに雰囲気と利便性で選んだと言っても過言ではありません。

 

音楽を楽しく聴ければ私はなんだっていいと思います。むしろ、楽しく聴くなら難しいことは考えずシンプルに一つの筐体か複数あっても線で繋げば鳴るようなシステムがいいと思います。特に今の時代は。そこに何か求めると方向性を見失う上にメーカーは売れないの一点張りで売れない理由も製品もわからないまま突き進んでるようにしか見えませんし、ユーザーはユーザーで柔軟性が無いしで日本のオーディオメーカーが撤退・海外企業の傘下になるのもわかる気がします。

 

なので、もっと曖昧で音楽と生活に寄り添えるようなオーディオを楽しんで欲しいなと思います。